大林宣彦『この空の花―長岡花火物語』/細田守『おおかみこどもの雨と雪』/2人の花、雪の降る町、雨の日の記憶

人は生きて、死ぬ。

大林宣彦『この空の花―長岡花火物語』

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http://konosoranohana.jp/

まさしく長岡ワンダーランドにして大林マジック。新潟は長岡で毎年8月に打ち上げられる「長岡花火」を、戊辰戦争、真珠湾攻撃、長岡大空襲、新潟県中越沖地震、そして東日本大震災と重ね合わせて描いた一大叙事詩です。

長岡の花火は1840年、長岡藩主の川越への移封取り消しを祝う祝砲として打ち上げられたものが始まりとされています。1879年に遊郭の関係者が350発を打ち上げたのが花火大会としての始まり。戦時中の打ち上げ中止を経て、1947年に復興のシンボルとして復活。2005年には新潟県中越沖地震の復興を祈願した「フェニックス」の打ち上げが始まりました。そして2011年、東日本大震災を受けて自粛議論が高まる中——。

こうしたセミ・ドキュメンタリー的な特徴を縦軸に、人々の物語が横軸として絡め合わされます。天草の地方紙記者、玲子のもとに、かつての恋人である健一から手紙が届く。長岡で高校教師をしている健一は、自分の生徒が脚本を書き演ずる『まだ戦争には間に合う』という舞台と、長岡の花火を見に来ないか、という。2人は自らの人生と戦争を結びつけながら、その日に向けて自身の心情を、文字通り「語りかける」のです。カメラに向かって、独白しながらも、観客に語りかけるように!

3時間近くにも及ぶ重厚なフィルムは、それでも時間が足りないのだとでも言わんばかりに詰め込まれたセリフを放ち、矢継ぎ早に現在と過去の映像を何の演出的説明もなくそのまま混ぜ合わせて叩き付けてきます。圧倒的な情報量は、長岡というワンダーランドのワンダーっぷりを遺憾なく表現してくれます。大林宣彦監督の過剰性がそのまま「映画らしき何か」としてフィルムに刻み付けられているのです。

大林宣彦監督作品 映画「この空の花」 予告編 120秒バージョン - YouTube

そんな過剰性の中心で、花という少女は舞台を軽やかに駆け回ります。元木花。一輪車に乗って劇中を駆け巡り(演じている猪俣南は、一輪車の世界大会での優勝経験者!)、物語の始まりにして終わりである脚本『まだ戦争には間に合う』を書き残し、ふわふわとつかみ所なく彷徨いながら「私は知ってるよ」と客席に語りかけるのです。花という少女が中心にいて、そして花火が空に打ち上げられる。過剰性が花≒花火へと収束し、そして再び発散するクライマックスは圧巻の一言。正直に言うならば、打ち上げられた花火を見て、僕は泣きました。安らかに眠れ。

どうぞ、脳髄が焼き切れるような強烈な映画体験を。

細田守『おおかみこどもの雨と雪』

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映画「おおかみこどもの雨と雪」

『時をかける少女』『サマーウォーズ』の細田守監督 最新作。シンプルで、美しい物語。

生活費をアルバイトで稼ぐ女子大生の“花”は、ある日、大学の授業に潜り込んでいた青年と出会います。やがて恋に落ちる2人。でも彼は、“おおかみおとこ”だったのです。……という、極めて分かりやすいモチーフから出発する本作は、2人の子ども——姉の“雪”と弟の“雨”が生まれ、そして“彼”が死んでしまうところまでを一瞬で駆け抜けます。そうして、残された“花”が2人を育て上げる決心をするところから、物語が始まるのです。

ふとした瞬間に狼の姿に変わってしまう雪と雨の姉弟を都会で育てるのは難しく、花は田舎へと引っ越すことを決意します。そうしてそこで、いつか2人が選べるようにするのでした。人として生きるか、狼として生きるか。

花は極めて強く、同時に軽やかな、透き通った女性として描かれています。いつでも笑っていろと育てられた花は、笑いながら、やんちゃな雪と、臆病な雨を育てるのです。よく笑顔が出てくる映画だなと感じました。しきりに笑っています。富山をモデルとした田舎町の自然描写はCGによって柔らかくも美しく作り上げられ、それが3人への祝福として常に機能し続けていることを意識させられます。

映画「おおかみこどもの雨と雪」予告3 - YouTube

この物語は、ファンタジーかもしれません。花という女性はあまりに強く、軽やかです。故にこれは現代劇であると同時に、おとぎ話なのです。

どうぞ、丁寧で真っすぐな「選択の物語」を。

花、雪、雨、死、旅

……さて、奇しくも同時期に観たこの2作は、いずれも「花」という女性が中心にいます。また、舞台は新潟と富山という「雪」の降る町であり、物語のクライマックスで激しい「雨」が降ります。同時に、いずれも「死」と「旅立ち」を描くという点で共通します。

元木花。雪の厳しい長岡。豪雨の中で打ち上げ決行を決断した2011年の長岡花火。多くの死と鎮魂を経て、まだ戦争には間に合うと旅立ちへと至る。

“花”。雪の日に生まれた姉、雨の日に生まれた弟。雪の上で駆け回って笑い、豪雨の中で選択をする家族。愛する人の死で始まり、旅立ちへと至る。

特に意味はありません。ただ、『この空の花』を観たあとは強い日差しの空の下で、『おおかみこどもの雨と雪』を観たあとは雨上がりの道の上で。人は死んで、そして生きるんだなあと、思ったのでした。

MVOT、tickles、Farhādī、Heem、いがらしみきお

ここのところ素晴らしいものをたくさん見聞きしたんだけど、しばらくブログが書けるような状態では無かったので、ざくっとまとめて書いておきます。

■ Moritz Von Ozwald Trio『Fetch』

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ついに出たよ! Moritz Von Oswald (Basic Channel) / Max Loderbauer (Sun Electric, NSI) / Vladislav Delay (aka Luomo) の3人からなるベルリン・アンダーグラウンドのスーパーグループ、Moritz Von Oswald Trioのサードアルバム! ミニマル・ダブ絵巻の魅力はそのままに、さらにグルーヴィーに進化&深化したこの音はもう完全に唯一無二でしょう。深海すぎて意味が分からないレベルです!

‎Moritz Von Oswald Trioの「Fetch」をApple Musicで

■ tickles『on an endless railway track』

on an endless railway track

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ロマンティック・エレクトロニカ・ポップ from 湘南! ここまでポップかつドリーミンな電子音楽を作れる日本人がいたなんて、と驚きまくりです。特に「liar」「braintrain」「pianoblack」が素晴らしい。ele-kingのインタビューを読んだら風貌が音の印象と全然違ってそれも面白いですね。

http://www.dommune.com/ele-king/features/interview/002385/
‎Ticklesの「On an Endless Railway Track (Bonus Track Version)」をApple Musicで

■ アスガル・ファルハーディー『別離』

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betsuri.com

すっかり見そびれていたので見ました! イラン映画でありながら、まるで日本映画を見ているのかと錯覚するほどに、離婚問題、介護問題、司法問題がリアルな形で絡み合うドロドロとしたフィルムです。それぞれの主張と正義が交錯しながら、最後にどのような審判が下るのか、どう転ぶかが予測しづらい絶妙な物語。何が正しいのか、何が間違っているのかが溶解して判別できなくなっていく様を楽しみましょう。

2012年4月7日より公開 『別離』予告編 - YouTube

■ 国立西洋美術館『ベルリン国立美術館展』

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http://www.berlin2012.jp/

みんな真珠の耳飾りばかり注目しないで、真珠の首飾りの方も見ようぜ! ということでフェルメール『真珠の首飾りの女』初来日。何年か前にベルリンで見てはいたのですが、今回のベルリン国立美術館展はそれ以外にもレンブラント派の『黄金の兜の男』やミケランジェロの素描を始め、かなり多くの作品が展示されるということで、これは見ないわけにはいかないだろうと行ってまいりました。素晴らしかった! 15世紀の宗教画や豊富な彫刻コレクションも去ることながら、やはりデ・ヘームの『果物、花、ワイングラスのある静物』が良かったですね(入り口にも使われていた上の写真の絵です)。画集で見るのとはまったく違う色の鮮やかさにほれぼれしました。作品数が多く、質の高い美術展なので、ぜひ行くことをオススメします。

「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」紹介映像 - YouTube

■ いがらしみきお『 I 』第2集

I【アイ】 (第2集) (IKKI COMIX)

I【アイ】 (第2集) (IKKI COMIX) | いがらし みきお |本 | 通販 | Amazon

2011年の「ベストコミック」に挙げさせていただいた本作の第2巻が刊行されたわけですが……いやあ、もう……壮絶としか言いようがないですね。警察に連行され、そのまま病院に送られてしまったイサオと別れ、雅彦は「岡島にんげん農場」で生活することに。疑似家族と疑似コミュニティによる粘つくような仮初めの幸せ故、逆説的に浮かび上がる「この世界はなんなのか」「神様はどこにいるのか」という問いが、狂おしいほど執拗に繰り返されます。幸せを得ても、幸せになれない。社会から弾かれた者たちが、そこで社会を作っても、それでも幸せになれない。人の中で生きること“そのもの”に幸せを感じられない……。そうやって絶望する雅彦の姿と、彼に「人の世の中には人の理屈しかない」「一人で生きねば、神様は見えなくなってしまう」と告げるイサオ。では、神様とは? その回答の一端がラストで明かされます。これは本当にすごい。どうしてこんなものが描けるんだ……。

ぼのねっと | ぼのぼのといがらしみきおの総合情報サイト

ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』が見せた、美しく矛盾する人間の二重性

“世界一の都”パリ!

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midnightinparis.jp

2012年アカデミー賞の最優秀脚本賞とゴールデン・グローブ賞の最優秀脚本賞を受賞し、自身の史上最高の興行成績を達成、ウディ・アレン史上最高傑作と呼ばれている本作がようやく日本でも公開されました。もちろん初日に観てきましたよ!

ウディ・アレンといえばニューヨークですが、今回の舞台はパリ。もうパリの情景が美しすぎて、それだけで幸せな気持ちになれます。パリ愛にあふれすぎ。

アレンを彷彿とさせるハリウッドの売れっ子映画脚本家ギルは、都会的な美女イネズと婚前旅行でパリへ。代わり映えの無い脚本家人生に飽き飽きし、1920年代のパリに憧れ、パリで小説家として生きていきたいと感じていたギルはある夜、古めかしいプジョーに出会い、そのまま社交パーティーへ。中心でピアノを弾いて歌っているのはコール・ポーター、パーティーの主催者はジャン・コクトー、知り合った夫婦はスコット&ゼルダ・フィッツジェラルド……。かくして夜な夜な1920年代のパリへとタイムスリップしてしまい、ギルは不可思議な夜に翻弄されます。

もうとにかく、登場する方々が完璧すぎる。特にアーネスト・ヘミングウェイとガートルード・スタインが良い。あとダリ。ダリ! こうして考えると、たしかに1920年代のパリはオールスターすぎて困る。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』予告編 - YouTube

ジルはパリが最も輝いていたのは1920年代だと考えており、舞い上がって彼らと交流を重ねながら、スタインに自らの小説を見てもらいます。しかしスタインの元にいたパブロ・ピカソの愛人アドリアナは、ベル・エポックの時代こそが至高だと目を輝かせます。そうして今度は、2人でベル・エポックの時代へとタイムスリップ。そこで出会ったロートレックやゴーギャン、ドガはルネサンス期の輝かしさを語るのでした。なんという不毛。かつてあった栄光!

アドリアナは1920年代を捨ててベル・エポックを選びますが、二重のタイムスリップを経て過去の栄光の無限性に気付いたギルは現代に戻ることを決意します。しかしギルは一方で、ハリウッドではなく、パリを選びます。ここではないどこかの不毛さを理解し踵を返す一方で、ここではないどこかに居着いてしまう……この二重性が、人間としての矛盾した欲求を美しく表しているようで、僕はラストシーンがたまらなく好きになってしまいました。

ひとつひとつのセリフにはアレン節が爆発し、歴史上の偉大なヒーローたちはとてつもない人間くささを披露し……と、笑い転げながら観られる極上のフィルムだと思います。そう、多分、これが映画なんです。ぜひ観るべき。

それにしてもここにきてこんな映画を撮れてしまうアレンは本当にすごい。2012年秋には『You Will Meet a Tall Dark Stranger(恋のロンドン狂騒曲)』が、2013年には『To Rome with Love』が日本で公開予定です。楽しみですね!

ゴールデンウィーク9連休の半分を風邪で寝て過ごしたブログこちらになります

ゴールデンウィークは9連休でした。

そんな長期休暇、社会人になって初めてかも!と初日から関東に帰省して遊んでいたら、中盤で京都に戻ってきたタイミングで風邪で倒れ、後半はそのまま寝て過ごしました。いまも治りきっておりません。

ということで時間が経ってしまいましたが、ゴールデンウィークの楽しげな写真と、ゴールデンウィーク中に書こうと思っていた最近観た映画について軽くまとめておきます。ごほんごほん。

銀座でフェルメールとか

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銀座でやっていた、フェルメールの全37作品のリ・クリエイト作品を時系列に鑑賞するという不思議な催しに行ってまいりました。1663年から1668年ごろにかけての神憑りっぷりは異常。なんか不思議な感じでしたが割と面白い試みでした。今年は真珠の首飾りの女が国立西洋美術館に、真珠の耳飾りの女が東京都美術館に来ますね。首飾りは初来日。数年前にベルリン国立美術館で見て感動したものです。また見られるのが楽しみです。

ついでに銀ブラしました。銀ブラ!

あっぱれ北斎! 光の王国展 | フェルメール・センター銀座 Vermeer Center Ginza

横浜でオクトーバーフェスト

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我が愛する横浜みなとみらいに行き、ドイツビール祭ことオクトーバーフェストを楽しんでまいりました。オクトーバーとは何だったのか。なんか鶏の丸焼きが売っていて完全にテンションがおかしくなって貪り食いました。

みなとみらいの夜景を見ていたら横浜に帰りたくなりました。ホームシック! やはり横浜は世界で最も素晴らしい都市です。

http://www.yokohama-akarenga.jp/oktoberfest2012/

三鷹で猛禽類カフェ

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三鷹の鷹匠さんが経営する喫茶店「鷹匠茶屋」に行ってまいりました。ハリスホークとベンガルワシミミズクがいました。かっこいいぜ……。とても大人しかったのが意外な感じでした。

ついでに井の頭公園や吉祥寺を散策しました。東京に住んでいたころ、あまり吉祥寺は馴染みがなかったのですが、改めて行ってみると良い街です。謎の忍者ショー「ザ・忍者」が非常に興味深い感じでしたが、どう見ても忍んでいませんでした。SHUTTERSのアップルパイアラモード美味しゅうございました。

TOP of Falconer's Cafe
お茶が飲めて鷹も買えるお店に行ってみよう :: デイリーポータルZ
おちゃらか オンラインショップ 株式会社おちゃらか
SHUTTERS 吉祥寺(吉祥寺/イタリアン(イタリア料理)) - ぐるなび

最近観た映画。ピナ・バウシュ、KOTOKO、311

合間合間で映画をせっせと観ています。

アン・リンセル『ピナ・バウシュ 夢の教室』

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http://www.pina-yume.com/

今年はピナ・バウシュの映画を2つ上映していたのですが、3Dのあちらではなくこちらを。名作「コンタクトホーフ」を、ダンス経験のない40人の少年少女に踊らせるというピナ・バウシュの試みが、指導風景のドキュメンタリーという形で映し出されています。

少年少女ひとりひとりの「等身大の悩みや葛藤、恥じらい」が、次第に「表現」によって脱構築されていく、その過程を切り出した非常に暖かなフィルムに仕上がっていました。「表現」を行うすべての人に観てほしい作品です。

映画『ピナ・バウシュ 夢の教室』予告編 - YouTube

塚本晋也『KOTOKO』

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http://www.kotoko-movie.com/index2.html

歌っているとき以外は他人が二重に見えてしまうシングルマザーCocco=KOTOKOと、彼女に救いを見いだす小説家の田中=塚本晋也の物語。Coccoの演技が割とリアルで驚きました。うんうん、よくあるよくある、という描写が多かったですね。

途中でぶっつりと田中が消えてしまうあたり、徹底しているなあと思います。救いはないんですか!と問われれば、まああるんじゃない?くらい。ラストシーンは随分とファンタジーだなあと思わなくもないけれど、それもまた救いなのかもしれません。

映画『KOTOKO』劇場予告編 "KOTOKO" official trailer - YouTube

森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治『311』

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映画『311』公式HP

東日本大震災後、ただ現認することだけを考えて東北へ車を走らせた4人の男が撮った「311ドキュメンタリー」ならぬ「311を撮る者のドキュメンタリー」。森達也に萌えるフィルムと化してないか……と思わなくもない。

スタンスや表現手法の異なる4人の映像が混ぜ合わされているので、なんとも言えぬ、よく分からない映像の塊になっているのが興味深いポイント。誰の作品だかもよく分からないし、特に被災地のすべてを切り取ったドキュメンタリーになっているわけでもなく、ただひたすらに大きな何かを見ようとして右往左往する撮り手=作り手の姿を切り取り続ける謎の作品です。角材を投げつけられ、謝罪しながらそれでも撮るのはやめないと言うラストシーンに、僕らの「見たい」という欲望のすべてが詰まっているかのようで、得も言われぬ感情を覚えさせられます。

『311』予告編 森達也 綿井健陽 松林要樹 安岡卓治 共同監督作品 - YouTube

ちなみに『311』は懐かしの横浜・黄金町「シネマ・ジャック&ベティ」で観ました。以前にトリエンナーレで来たときも思いましたが、黄金町、きれいになっちゃいましたねえ。

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タル・ベーラ『ニーチェの馬』、壮絶なるフィルム、世界の終わり、ひとかけらのジャガイモ

神は死んだ!

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http://bitters.co.jp/uma/

天才タル・ベーラ監督の“最後の作品”。イタリアはトリノにて馬の首をかき抱きながら号泣し発狂したフリードリヒ・ニーチェの逸話から「じゃあその馬はどうなったのよ」という方向に飛ぶというとんでもないお話です。

本編は非常にシンプルです。風吹きすさぶ荒涼とした地に住む父と娘と馬が、日々淡々と仕事をし、ジャガイモを食べて眠るというだけの描写を6日繰り返します。モノクロのフィルムによる恐ろしいほどの長回しが、本当に淡々と2人の日々を描き出します。ああ、風の音が耳に残っている!

2日目に馬が動かなくなり、3日目にはエサすら食べなくなります。4日目には井戸の水が枯れ、5日目に火種が尽き……。言うまでもなく、これは旧約聖書の「神が世界を創造した7日間」の逆再生に他なりません(7日目は安息日)。でも2人は淡々と日々を過ごします。一度は土地を捨てようとしますが、丘の向こうに行った後、戻ってきてしまいます。丘の向こうはどうなっていたのか……。結局、水が無くなって蒸かしイモが作れず、火が無くなって焼きイモが作れなくなっても、生のイモを「食べねばならぬ」と食べるわけです。マズそうだったけど。

世界の終わりを極めて美しく描いた『メランコリア』とは逆に、世界の終わりを日々の延長線上に置いて淡々と進め、それによって逆説的にフィルムの緊張感を際立たせるというアプローチ。くらくらします。これは本当にすごい。

映画『ニーチェの馬』予告篇 - YouTube

これぞミニマリズム。これぞ映画。そんなふうに思える、素晴らしい作品でした。

ちなみに見終わった後、映画館(イメージフォーラム)の目の前にある「もうやんカレー」に入ってカレーを頼み、サービスのジャガイモを食べました。美味しかったです。

もうやんカレー 公式ページ

イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』/ラース・フォン・トリアー『メランコリア』/絶望と美

時よ止まれ、お前は美しい。

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http://poetry-shi.jp/
交野市melancholia

絶望に美を見出してしまうのは、多分、罪深いことなのだと思います。

イ・チャンドンの『ポエトリー アグネスの詩』は、初老の女性ミジャの絶望的な現実が見せる詩のお話です。美しい言葉を求めて詩の教室に通い始めるミジャは、孫が同級生の少女の自殺に関わっていると知り、しかし示談金を用意する当てはなく、八方ふさがりになります。それでも「美しい詩を紡ぐために、世界を見つめよ」と習ったミジャは、自殺した少女アグネスの足跡を辿ります。自らに降りかかる不幸を利用して理不尽な現実に決着をつけた末に、ミジャがアグネスを見つけ紡いだ詩はとても美しく、それ故、見ている者は世界の理不尽さに絶望します。

ラース・フォン・トリアーの『メランコリア』は、監督の鬱病時代が生んだ世界の終わりのお話です。一般的な意味で極めて幸福な結婚式においてメランコリーに襲われ奇行に走るジャスティンは、結果として夫と職を失い、自らをコントロールできなくなります。ところが、惑星メランコリアが地球に接近するに従って、周りの普通の人々が不安と恐怖に怯えるのとは対照的に、心の平静を取り戻していきます。世界の終わりという絶望を目の前にして誰よりも冷静に終わりを迎えるジャスティンと、迫り来る惑星メランコリアの姿はとても美しく、それ故、見ている者は世界の理不尽さに絶望します。

2本とも、とても美しい映画でした。

クリント・イーストウッド『J・エドガー』/ヴィセンテ・アモリン『善き人』/正しきことの困難さ

さぁ、お前の罪を数えろ。

 

【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|J・エドガー
http://yokihito-movie.com/

正しいことをして生きていきたい、と思う人は世の中にどのくらいいるのでしょうか。まあ、たいてい、難しいのですが。

クリント・イーストウッドの『J・エドガー』は、FBI初代長官のジョン・エドガー・フーヴァーの半生を描いた映画です。「半生を描いた」とか言ってるけど、実は晩年のフーヴァーの“回想”なわけですが。「正義」を徹底的に貫こうとする人間が権力を得てどこにいくのか、みたいな話だと思ったら、いつの間にかラブコメになってました。トルソンとの修羅場シーンは素晴らしかったね! ディカプリオの演技が大変良かったです。はい。

ヴィセンテ・アモリンの『善き人』は、1930年代のヒトラー独裁政権下のドイツで、ある教授が昔書いた小説がヒトラーに気に入られちゃって気付けば家庭もユダヤ人の親友も……という映画です。原題は『GOOD』。そっちの方がいいよねえ。何とはなしに生きてて「仕方ないよね」っと流されていたら善きことが成せなくなっちゃった、みたいな。沈鬱な空気とか、狂気を感じるラストシーンは好みでした。

いずれも、正しさであるとか、善きことであるとかいったものの困難さを表現している映画です。もう少しひとひねりあるといいかなあ、というのが共通の感想です。どっちも嫌いじゃないんですけどね。

園子温『ヒミズ』の正しさと悲しみ、あるいは「絶望する者」と世界について

映画および原作のネタバレ全開なのでご注意ください。

http://himizu.gaga.ne.jp/

古谷実の傑作『ヒミズ』を、約10年の時を経て、園子温が実写映画化。3.11発生時に脚本を大幅に書き直し、舞台を震災後の日本としているのが特徴です。住田の貸しボート屋の近くには震災で家を失った人々がテント暮らしをしています。原作では同級生だった夜野も、その中のひとりの中年男性に設定が変更されています。また、茶沢の家庭の描写が追加されているのも面白い。彼女もまた、クズな両親から「死ね」と言われている少女であったという園解釈は賛否が分かれるところでしょう。

物語の大筋は原作通りで、セリフや細かいネタ(例えば、夜野に押されて雨の中パンツ丸見えになりながら丘を転げ落ちていく茶沢のシーンなど)もそのまま再現されています。ただし、原作の静かな狂気は、園らしい絶叫を伴う狂気へと翻訳されています。また、住田が幻視する「モンスター」も登場しません(極めて漫画的な表現なので当然といえば当然かもしれませんね)。そのため、作品全体の印象は大きく異なります。見た目は園流に翻訳しつつ、本質を同一のものとしようとする園監督の意思を感じます。とても興味深い差異です。

新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン) 新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

恐らくは最も賛否が分かれるであろうラストシーンについて。

原作では、住田は茶沢とのありえそうもない普通の幸せな未来を夢想し肯定しつつ、モンスターに「決まってるんだ」と言われて自殺して終わります。映画では、住田は自殺を思い留まり、茶沢と共に警察署へと向かって走るシーンで終わります。

明らかに3.11後を意識しての変更です。それは、かつて2000年代前半に確かにあった絶望の相対化ではないでしょうか。「10年後には笑い話だ」と原作でヤクザの金子は住田に言います。連載開始した2001年から10年後、それは皮肉にも最悪の形で事実となったわけです。それどころではない、もっと悲惨な人はたくさんいる、「世界中には生きたくても生きられない人達がたくさんいる」(原作最終話より)。そう思っても自分を救えなかったのが、あの日の住田でした。10年が経過して、世界が変わって、僕らは住田の絶望を勝利させることができなくなりました。希望に敗北させざるを得なくなったのです。

この結末は完璧に正しい。圧倒的なまでに正しい。ただ、「お前の絶望は結局その程度のものだったのだ」とモンスターに言われているようで、僕はその事実に、ひたすら悲しみを覚えました。

主演の染谷と二階堂の演技は抜群に素晴らしい。ひとつの映像作品として『ヒミズ』は極めて高い水準の映画に仕上がっています。完璧です。だからこそ、僕は悲しい。正しい結末。10年を経て、やっと住田は救われました。歓迎すべきです。でも僕は、この世界が、あの日の住田を否定しているような気がして、ただただ悲しみに暮れています。

「希望に負けた」という気持ちで 『ヒミズ』園子温インタビュー | CINRA
園子温監督、覚悟の『ヒミズ』映画化 - ファン意識のコスプレ大会ではなく原作に宿る魂再現 | マイナビニュース

フォルカー・ザッテル『アンダー・コントロール』のフィルムが淡々と描く原発(&放射能)

滅びゆくものは美しい、とかなんとか。

映画『アンダーコントロール』公式サイト
unterkontrolle-film.de - このウェブサイトは販売用です! - unterkontrolle film リソースおよび情報

ドイツ原発見学ドキュメンタリー『アンダー・コントロール(Unter Kontrolle)』。フォルカー・ザッテル氏による、3.11以前に作られ、3.11以降に公開された映画です。

前提知識を少し。ドイツは3.11を受けて原発推進派のメルケル首相が脱原発に舵を切ったと報道されましたが、実際のところ、もともと2000年の段階で社会民主党と緑の党との連立政権が脱原発を決めていました。その後の政権交代によって、脱原発ムードへの見直しが行われていたというのが正確なところです。

そんなわけで、もともと原発廃止に向けて停止・解体作業が始まっていたドイツ。本作は、そんなドイツの原発の「ありのままの姿」と、解体にまつわる「困難さ」、無念を抱く原発従事者たちの表情を撮影しています。印象としては、まさに「工場見学」。全編を通じて、ナレーションは一切なし。淡々と、美しさすら感じる巨大建築、原子力発電所の様子を映し続けます。

なんとなく映画の内容や日本語版の予告編を眺めると原発批判作品に見えますが、実際に見てみると、できるだけフラットに原発を直視しようとするザッテル氏の意志を感じます(もちろん、完全に中立なドキュメンタリーなど実現不可能ですが)。実際の映画の雰囲気は、先に乗せた本国ドイツ版の予告編の方が近いと思います。本編の8割くらいは、ひたすら原発そのものやシステム、そこで働く人々を描きます。普通は見ることのない原子炉建屋の内部や、眩いばかりのコントロール・パネル群、そして、そこで鉄の意志を持って原子力をコントロールし続けるスタッフたち。映像として極めて美しく、羨望を覚えます。それは絵に描いたような「懐かしい未来」です。解体へと向かう描写は最後の2割くらい。反原発側の人間は一切出てきません。ただひたすらに、原発を“完璧に制御”するための機械と人間のシステム、原発が解体されていくことに悲しみを覚える人々、そして原発を解体することがいかに困難であるかを描きます。逆説的に、いかに原発がアン・コントローラブルなシステムなのかが伝わってくるようです。

特に印象的だったシーンは3点。

地下600メートルにある低・中放射性廃棄物の巨大な貯蔵庫へと進むカメラ。延々と積み上げられる黄色いドラム缶。「数は?」「分からない。個数ではなく、体積で数えるんだ。何立方メートルと」。

チェルノブイリ原発事故の影響から、稼働する前に計画中止となったカルカーの高速増殖炉SNR-300。冷却棟の中で回る空中ブランコ。テーマーパーク「ワンダーランド・カルカー」として生まれ変わった姿。

かつて、原子力が「夢のエネルギー」だった時代に生きた技術者へのインタビュー。「原子力は受け入れられなくなり、排除されていった。これほど威信を失い続ける存在はない」。

放射能を当てたフィルムからゆっくりと伝わってくる世界は、1つの映像作品として秀逸です。オススメ。

富田克也『サウダーヂ』が壮絶すぎてどうしていいか分からない話

『サウダーヂ』がヤバいです。

富田克也監督作品 映画『サウダーヂ』 空族制作

富田克也監督による、甲府に生きる人々を描いた、あまりにも生々しい映像世界。キャッチコピーは「土方、移民、HIPHOP」!!!

表層的には(少なくとも中盤くらいまでは)バカバカしい、笑える話です。劇場でも度々、笑いが起きました。でも、多くの登場人物が、がキツい現実を背負いながら、そのキツさから抜け出せずにゆっくりと首を絞められていくような展開をするため、はっきり言って「乾いた笑いをあげるしかない」だけです。そのどうしようもなさ、どこへも行けなさは、どんなにタフに生きても抜け出せない無限回廊のごとし。僕は見ていて絶望しました。ドキュメンタリーよりもリアルな物語です。恐ろしい。

『ウィンターズ・ボーン』で描かれたタフに生きる主人公の少女の希望と絶望には、それでも美しさがありました。こっちはもう、どうしようもない。土塊にまみれて、どうしろっていうんだ、と叫び出したくなります。タフに生きることで見える希望すら存在しない!

ただ、それでも、「土方」サイドの中心人物である精司の真っ黒になった肉体にはある種の美が宿っているし、タイ帰りで飄々としている保坂=ビンの生き方には憧れのようなものを覚えなくもありません。「移民」サイドのブラジル人たちはみな必死で生きているし、「HIPHOP」サイドで徐々に壊れていく猛の悲鳴のようなラップはまさしくゲットーミュージックで痺れます。すべて滑稽だし、絶望しかないのに、どうしてそれが美しく見えてしまうのでしょう。きっと、僕も途中から頭がヤラレチャッタんでしょう。そうでもなければ直視できないのです。よーし、おじさんカポエイラ始めちゃうぞー。