園子温『ヒミズ』の正しさと悲しみ、あるいは「絶望する者」と世界について

映画および原作のネタバレ全開なのでご注意ください。

http://himizu.gaga.ne.jp/

古谷実の傑作『ヒミズ』を、約10年の時を経て、園子温が実写映画化。3.11発生時に脚本を大幅に書き直し、舞台を震災後の日本としているのが特徴です。住田の貸しボート屋の近くには震災で家を失った人々がテント暮らしをしています。原作では同級生だった夜野も、その中のひとりの中年男性に設定が変更されています。また、茶沢の家庭の描写が追加されているのも面白い。彼女もまた、クズな両親から「死ね」と言われている少女であったという園解釈は賛否が分かれるところでしょう。

物語の大筋は原作通りで、セリフや細かいネタ(例えば、夜野に押されて雨の中パンツ丸見えになりながら丘を転げ落ちていく茶沢のシーンなど)もそのまま再現されています。ただし、原作の静かな狂気は、園らしい絶叫を伴う狂気へと翻訳されています。また、住田が幻視する「モンスター」も登場しません(極めて漫画的な表現なので当然といえば当然かもしれませんね)。そのため、作品全体の印象は大きく異なります。見た目は園流に翻訳しつつ、本質を同一のものとしようとする園監督の意思を感じます。とても興味深い差異です。

新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン) 新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

恐らくは最も賛否が分かれるであろうラストシーンについて。

原作では、住田は茶沢とのありえそうもない普通の幸せな未来を夢想し肯定しつつ、モンスターに「決まってるんだ」と言われて自殺して終わります。映画では、住田は自殺を思い留まり、茶沢と共に警察署へと向かって走るシーンで終わります。

明らかに3.11後を意識しての変更です。それは、かつて2000年代前半に確かにあった絶望の相対化ではないでしょうか。「10年後には笑い話だ」と原作でヤクザの金子は住田に言います。連載開始した2001年から10年後、それは皮肉にも最悪の形で事実となったわけです。それどころではない、もっと悲惨な人はたくさんいる、「世界中には生きたくても生きられない人達がたくさんいる」(原作最終話より)。そう思っても自分を救えなかったのが、あの日の住田でした。10年が経過して、世界が変わって、僕らは住田の絶望を勝利させることができなくなりました。希望に敗北させざるを得なくなったのです。

この結末は完璧に正しい。圧倒的なまでに正しい。ただ、「お前の絶望は結局その程度のものだったのだ」とモンスターに言われているようで、僕はその事実に、ひたすら悲しみを覚えました。

主演の染谷と二階堂の演技は抜群に素晴らしい。ひとつの映像作品として『ヒミズ』は極めて高い水準の映画に仕上がっています。完璧です。だからこそ、僕は悲しい。正しい結末。10年を経て、やっと住田は救われました。歓迎すべきです。でも僕は、この世界が、あの日の住田を否定しているような気がして、ただただ悲しみに暮れています。

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