2013年、小説ベスト10

読書はすれど、いわゆる「小説」を読まなくなって何年か過ごしましたが、2013年は小説熱が少し復活してきたので、まとめます。来年はもっと読みたいですね。

10位

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▽ 東浩紀『クリュセの魚』(河出書房新社)

東浩紀はセカイ系について、ジャック・ラカンの用語を用いて「想像界と現実界が短絡し、象徴界の描写を欠く」という表現で定式化できるとよく説明しています(引用は東浩紀の近著『セカイからもっと近くに』より)。想像界(きみとぼく)の行動が現実界(世界の危機)に直結しており、そこには象徴界(社会)が一切登場しない。こうした「セカイ系の困難」への東さんなりのひとつの回答が、本作だったのではないかと思います。

本作はSF的な設定における「きみとぼく」の物語で、とてもセカイ系っぽい小説です。にも関わらず、本作では「きみとぼく」の細やかな感情の機微はとても簡素に描かれており、描かれる危機も決して「世界滅亡」という大きなレベルではありません。代わりに描写されるのは徹底して「社会」です。火星社会、地球社会、両星間の緊張状態、テロリスト集団、音楽とプロパガンダ。本作は、徹底的に象徴界を描くことで、最終的に想像界(「ぼく=葦船彰人」と「きみ=大島麻理沙を模した“このわたし”」)と現実界(太陽から銀河中心方向に三万天文単位)を結びつけます。

セカイ系の困難にどう立ち向かうかという試みとして、極めて興味深く、それだけでも読む価値のある小説です。これは「やりなおさない力」を選べるようになった「ぼく」の物語です。

クリュセの魚 :東 浩紀|河出書房新社

9位

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▽ 平坂読『僕は友達が少ない 9』(メディアファクトリー)

ラブコメディとしての完成度でいえば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』12巻(完結おめでとうございます)をこの位置に置くべきでしょうし、コミュニケーションの失敗を描いた作品という意味で言えば『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』8巻(「このライトノベルがすごい!2014」大賞おめでとうございます)をこの位置に置くべきでしょう。それではなぜ本作を取り上げるのかと言うと、ポイントは「ずらしの美学」にあります。

平坂読は「ずらす人」です。前作『ラノベ部』もまた、ずらし続けた作品でした。本シリーズにおいても、作者はありとあらゆるテンプレートを用意しておきながら、それをひとつずつずらしていきます。何をずらしているのかというと、「記号」をずらしているのです。「他人の好意に気付かない鈍感な主人公」や「幼なじみとの再会」といったテンプレートは、ことごとくずらされ続けます。各キャラクターたちの記号(黒髪ロング、女にしか見えない男、白衣に眼鏡、幼女先生)も、何もかもがずらされ続けます。9巻ではついに「もはや友達同士にしか見えないキャラクターたちの『友達が少ない日常』」という根幹すらずらされました。メインヒロインであったはずの少女からは一切のヒロイン性が剥奪され、主人公から「重い」と言われる始末です。

人には知らない側面がある。世界はテンプレートでなど成立していない。ステレオタイプの薄皮をめくれば見たことのない姿がそこにある。だから人間関係は難しい。とても当たり前のことを、エンターテインメントとして成立させつつも、ライトノベルのテンプレートをずらし続けるという手法でひとつずつ丁寧に開いていく。とても誠実な作品だと僕は思います。

あと理科は可愛い。

書籍情報 | MF文庫J オフィシャルウェブサイト
平坂読『僕は友達が少ない』9巻の激烈な面白さ、あるいは「はがない」のこれまでとこれから - From The Inside

8位

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▽ 阿部和重『□ しかく』(リトルモア)

初期阿部和重ファンです。『アメリカの夜』と『インディヴィジュアル・プロジェクション』と『鏖』が好きです。『シンセミア』や『ピストルズ』といった膨大な規模の長編には手を出していません。僕は完全に、短編から中編くらいの規模の文章を書く阿部和重に心酔しています。そういう意味で、阿部和重が帰ってきた、と感じました。

ミニマルなタイトルと装丁の中身で繰り広げられるのは、完全B級、たちの悪い夢どころの騒ぎではない、阿部和重の悪ノリでしかないようなブラックジョークの塊です。現実離れしていて、マジメにやっているはずなのにそれ自体が滑稽にしか見えない、狂った小説。これぞまさに、僕が好きだった初期阿部和重そのものではないか!

よく分からない世界観、よく分からない設定のもと、よく分からない会話をする2人の男が、よく分からない不気味な女やマッドな歯科医や虐殺しまくりのカニバリスト集団を相手に「四つのパーツ」を集めるというこの物語は、感情の起伏に乏しいミニマルな文体で綴られているが故に、過剰なまでのスプラッタ描写がそのままギャグになるという効果を発揮します。文体と描写される事項の乖離はやがて、物語そのものを浮遊させます。引き攣った笑いしか出ません。

「なにも決めずに書く」という課題のもと執筆したという本作からは、「作家性とは何か」という問いもまた生まれます。自由に書いた一筆書きが、血にまみれた正方形の記号だったとしたら? 面白すぎて笑えません。自由に書いたら、あまりにも阿部和重的なものができてしまったという逆説。言語の可能性と不可能性を同時に感じる実験作品です。

リトルモアブックス | 『□ しかく』 阿部和重
『□』で挑んだ創作における自由とは?—— 阿部和重『□』刊行記念インタビュー|古賀史健|cakes(ケイクス)
文学の自由と不自由。視覚死角刺客詞客始覚四角資格視角。阿部和重『□ しかく』 - From The Inside

7位

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▽ 坂上秋成『惜日のアリス』(河出書房新社)

大きな2つのパートから成る本作は、批評家である作者の小説デビュー作であり、それ故に粗を探せばいくらでも出てくるのだけれど、不思議な質感に包まれた丁寧な小説であることは疑いようがなく、客観的な判断が難しい作品に仕上がっています。

前半は、小説家を目指す主人公の少女と、詩を作る痛い男・算法寺との、破綻までの物語。後半は、レズビアンとなった主人公による疑似家族とコミュニティ、およびそこに現れる過去の亡霊の物語。言葉を大切に扱い、言葉で人を傷つけ、そして言葉で新しい勇気を持つ、そんな筋書きです。村上春樹の影響が色濃い本作が、村上春樹の新作とほぼ同じタイミングで刊行されたという事実も、極めて興味深いですね。

「関係性と言葉」を突き詰めて丁寧に物語として構築した本作において、完璧な存在として(あるいは超越的な存在として)描かれる「ナルナ」の存在は象徴的です。言葉を駆使しなければ彼女には到達できない。彼女の言葉を見落とせば、あるいは言葉の使い方を間違えれば、完璧な存在としての「ナルナ」は離れ、疑似家族は唐突に終焉を迎える。それは恐怖であり、リスクです。でも、だからこそ尊い。僕は疑似家族というモチーフが昔からたまらなく好きで、このような疑似家族のリスクを突きつけられても、それでも愛おしいと思ってしまいます。それは人間が言葉を扱えるからなのだと、本作を通じて改めて実感しました。

言葉の扱い方を間違えれば、すべては消える。後悔はいつまでも消えない。それでも、言葉を使って、過去の反省を生かして、今、目の前にある大切な場所を守る、新しい勇気が必要だ。この物語は、そんな「新しい勇気」の大切さを教えてくれます。

惜日のアリス :坂上 秋成|河出書房新社
HugeDomains.com

6位

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▽ 紅玉いづき『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』(角川書店)

芸事に魂を捧げたすべての人が読むべき一作。少女サーカスが描き出す「不自由の美」を見よ!

大災害からの復興を目的として作られた首都湾岸地域のカジノ特区にて生み出された、客寄せのためのサーカス団。曲芸学校での苦難を乗り越えた選ばれしものだけが「サン=テグジュペリ」「カフカ」「アンデルセン」など文学者の名を襲名して舞台に立つ。ひとりひとりの物語が短編連作のようにつながり、全体を通じて「不自由の美」を表現します。

「美しくありなさい。ほんのひとときで構わないのです。一日一日、花の表情が違うように、不完全でありなさい。未熟でありなさい。不自由でありなさい」

団長シェイクスピアの教えは、芸事に魂を捧げるすべての人にとって意味のあるものです。この言葉は歪んでいます。そもそもシェイクスピア自身が歪んでいます。歪んでいるからこそ美しく、人を引きつけるという端的な事実こそが、この物語のすべてと言っても過言ではありません。

舞台に立つということは、誰かに何かを見せるということは、あるいは「『あなたの生み出すものには価値がある』と言われ続けなければならない宿命」は、それ自体が歪んでいて、不自由で、間違いだらけです。だからこそ、不自由であることの美しさを証明しなければならない。価値があるのだと証明し続けなければならない。物語の最後に立ち現れる「不自由の美」の、その瞬間のためだけに、本書は存在します。それは皮肉にもシェイクスピアの教えの通り。「ほんのひととき」の美しさのために。

「ブランコ乗りのサン=テグジュペリ」 紅玉 いづき[文芸書] - KADOKAWA
芸事に身を捧げ、不自由の美を得る。紅玉いづき『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』 - From The Inside

5位

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▽ 桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社)

2013年、最初に読んだのが本作でした。まさか直木賞をとってしまうなんて!

湿原を背に建つ北国のラブホテル「ホテルローヤル」を舞台装置として、それにまつわる人々を描いた短編連作。廃業し廃墟となったホテルローヤルを舞台とした物語から始まり、時代を遡って、ホテル事業を始めようとする物語までが描かれます。ひとつひとつの物語は分断されていますが、舞台装置であるホテルローヤルは常にそこにあり、ひとりひとりの行動が後に(本書上では前のエピソードに)影響を与えていきます。人生は何が起きるか分からないし、自分の行動がどんな影響を及ぼすかも分からない。人々の営みを、ただホテルローヤルは見つめ続けます。

北国特有のジメッとした重い描写の数々は作者の専売特許でもあり、短いエピソードひとつひとつがホテルローヤルの壁や天井に染み付いていくかのごとく。人の意志はちっぽけだけれど、どこかで誰かにつながっているということを、丁寧に描きます。ホテル事業を志す男のラブストーリーとして終わる最後のエピソードの顛末を、読者はもう知っています。世界はたしかにそうできている。

唯一、本文中に一切ホテルローヤルが登場しない(が故に本作で最も重要な)エピソード「せんせぇ」が一番のお気に入りです。妻の不倫を目撃して逃げ出してしまった高校教師と、親に家でされた女子高生による残念珍道中。釧路行きのきっぷをとったところで終わるこの二人の旅路のその後が、せめて最期の瞬間まで幸せであったならと思わずにはいられません。

集英社_書籍・文庫検索
遡るラブホテルと人間の記憶。桜木紫乃『ホテルローヤル』 - From The Inside

4位

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▽ 岩城けい『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)

それでも言葉に意味があるのだとしたら、その力を信じ続けるしかない。言葉を獲得するということは、生きることに等しい。

オーストラリアへと流れ着いたアフリカ難民のサリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働き、2人の子どもを育てている。やがて職業訓練学校で英語を学び始めた彼女は、日本人「ハリネズミ」と出会う。ハリネズミは自分の夢をあきらめ、インテリの夫についてオーストラリアへとやって来た人物であり、アフリカで厳しい現実の中を生きてきたサリマとは対照的な人物です。彼女らは言葉の通じない地で言葉を少しずつ獲得し、生きていきます。

人生には、幼い娘が死ぬこともあれば、子どもたちと引き離されることもあります。言葉はあまりにも無力であり、どうしようもないことを、どうしようもないこととして受け入れるほかないように思えます。それでも、言葉の力は確かにあるのだと、サリマの紡ぐオレンジ色の夢を通じて気付けたとしたら、どんなに幸せでしょうか。

とても優しい小説です。優しすぎるといってもいい。そんなにうまく世界はできていないとも言えるかもしれない。それでも、この小説は、言葉の力を信じ続けたものへのご褒美のように読めて、読み返す度に切なくなります。

筑摩書房 さようなら、オレンジ / 岩城 けい 著

3位

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▽ 天久聖一『少し不思議。』(文藝春秋)

特殊漫画家・天久聖一による小説です。面白くないわけがないですね。

売れない漫画家の辰彦は、ある日、自宅に帰宅すると見知らぬ女に出迎えられる。友人いわく同棲している菜津子という女性だというが、辰彦には記憶がない。存在しないはずの記憶は、やがて彼女との対話の中で少しずつ形作られていき、辰彦自身の記憶(父との別れや、ドラッグ漬けの過去)と入り交じっていく。しかし、ある会話の中から、もうひとつ辰彦の記憶にない事柄が浮かび上がる。辰彦には、東日本大震災の記憶がなかった。

辰彦にとっての虚像(菜津子との同棲生活)と現実(アバンギャルドな辰彦の半生)は少しずつ綯い交ぜになっていく(虚実REMIX!)けれど、周りの人間から聞く東日本大震災とその後の辰彦の行動は、出来の悪いギャグ漫画にしか聞こえず笑えるけれど、読者は当然のごとく「東日本大震災を知っている」が故に笑えない、という二周三周まわったギャグとして機能します。

こうした虚実綯い交ぜの世界で「出来の悪いギャグ漫画」めいた現実がインストールされ、ついには愛嬌あるホームレス・ネコ爺に導かれて夢の世界へ。記憶になかったはずの日々を喪った悲しみ(=存在するはずのなかった悲しみ)の中、夢の底で彷徨い続ける。こうしていとも簡単に虚実は逆転します。

現実的な虚構と、虚構めいた現実。すべては容易にひっくり返り、僕らは世界を丸ごと見失う。本書はまるでドラッグのように僕らの虚実を掻き乱し、ただひたすらにアシッドな文章を脳髄へと叩き込み続けます。天久聖一の漫画作品に通底するアシッドな感覚は、小説という形に姿を変えてもなお、圧倒的なまでに強力に作用します。

出来の悪いギャグ漫画のような虚構に浸食される現実。最高です。

『少し不思議。』天久聖一 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
http://hon.bunshun.jp/articles/-/1913
虚実が逆転する「読むアシッド・ハウス」——天久聖一『少し不思議。』 - From The Inside

2位

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▽ 桜木紫乃『無垢の領域』(新潮社)

人生は後悔の旅路。

「革命児」と呼ばれる図書館長の信輝、筆を持つことしか知らぬ書道家の秋津、秋津の妻の伶子。3人の一人称が順繰りに描かれる本作は、介護を受ける秋津の母と、信輝の妹で天才的な書道の才能を持つ純粋な純香という2つの「無垢」が投入され、世界観が広がっていきます。信輝、秋津、怜子の3人は戸惑い、悩みながら、同じ場所を回り続ける「観光客(ツーリスト)」として描かれます。一方、自分を失っていく(かのように見える)秋津の母と、もともと自分が無い(かのように見える)純香の姿は、真っ白な紙のようにも、真っ黒な墨のようにも見えます。

ところが、認知症と思しき秋津の母には詐病の疑いが発生します。中盤で初めて描かれる純香の心情は驚くほどに人間的です。真っ白だったり、真っ黒だったりする人間など存在しない。ようやくその事実に到達できてからが、本番です。

信輝は最後、竜に睛を入れて、「観光客(ツーリスト)」であることをやめ「旅行者(トラヴェラー)」になります。白い紙と黒い墨、観光客と旅行者、迷う者と無垢な者。さまざまな対比が全体構成を見事に形作る、ほれぼれするような筋書きです。作者お得意の丁寧な筆致は、北国の凍てつく空気と、人間の「無垢の領域」を目の前にさらけ出します。

文句なしの名作です。ぜひ。

http://www.shinchosha.co.jp/book/327723/
終わりのない後悔の旅。桜木紫乃『無垢の領域』 - From The Inside

1位

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▽ 黒田夏子『abさんご』(文藝春秋)

別格。

賛否両論よく分かります。でもこういうものが読めるということを、とても幸せなことだと僕は思います。言葉を読むという行為をここまで純粋にしてくれた本は本当に久しぶりでした。

これは素晴らしい日本語表現の集合体であり、読むことの悦びを感じさせてくれる作品であると、僕は思っています。

目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた.aの道からもbの道からもあふれよせた.

さんぽの途中、aの道かbの道か。どちらかを選んでどちらかを捨てるのではなく、双方をあたたかく包んでくれる描写に、救われるような思いがしました。

『abさんご』黒田夏子 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
黒田夏子『abさんご』のゆめと記憶 - From The Inside