谷崎潤一郎『春琴抄』

この記事は、#読み終わった本リスト Advent Calendar 2015 - Adventar の17日目です。

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今年2015年は谷崎潤一郎の没後50年であり来年2016年は谷崎潤一郎の生誕130年です今年から来年にかけては谷崎イヤーということでいろいろと企画や特集などされています。先日のこと千葉・南房総を旅行した際に谷崎潤一郎の『春琴抄』を持参しました。

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波の音を聴きながら温泉につかり改行と句読点の無い美しい日本語の連鎖に身を委ねるのはなんとも言えない至福でした本作において盲目の春琴が傷を負った際それを見まいとした佐助は自身の瞳を潰すわけですが春琴を記憶の中の観念的な存在として昇華した彼は春琴の死を悲しみつつしかし誰よりも春琴を身近に感じ続けることに成功したのではないかと感じずにはいられません。人は死者を記憶の中で生きながらせることができるとは言っても記憶には限界がありいずれ記憶は改竄され曖昧な情報の中で失った悲しみさえ失っていくのは避けようもないが佐助は生前より春琴を観念の存在として相対していたならば死の瞬間すら曖昧で最後まで共にあったとも言えるかもしれないと思うとそれは幸福なことではないか。見えるものに頼り過ぎる我々は春琴の三味線の音を春琴そのものとして認識し記憶し続ける佐助に見習う部分が多かろうと思うとよく自己犠牲の愛と言われる佐助の行動はむしろ自身のためであったとも捉えることができ心の底から羨望するそんな具合にこの物語を読めるのは自分が歳をとったからかもしれないなどと波の音を聴きながら瞳を閉じる

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明日は id:dekokunです。