週刊少年チャンピオンにて山田胡瓜『AIの遺電子』連載スタート。「感受性豊かなヒューマノイド」と「非常な人間様」の世界

ITmedia時代の同僚でもあった山田胡瓜先生、ついに週刊少年チャンピオンで新連載を始めたでござるの巻。

https://twitter.com/kyuukanba/status/662080173047549952

まじか……まじか……すごすぎる……。連載おめでとうございます!(私信)

ということで読みました『AIの遺電子』第1話。ヒューマノイドが当たり前のように存在する近未来を舞台にした医療SF。『バイナリ畑でつかまえて』の延長線上にあるガチなSF的作品でありながら、作者特有のどこか懐かしく人なつこい絵柄と叙情的なストーリーで「とても腑に落ちる」仕上がりです。

ヒューマノイドであっても、バックアップ(=人格のコピー)は禁じられている、という世界で、個人による違法バックアップによってウイルス感染した女性が患者として登場する、というのが第1話のあらすじです。その中で、なぜ人格のコピーは禁じられているのか、バックアップから復元された自己は自己たり得るのか、というSFではよく見られるテーマ(ネット上での感想を見ると、コピーや自意識といったテーマはグレッグ・イーガンを彷彿とさせる、という指摘がすでにありました)を扱っていくわけですが、絵柄のせいか、あるいは語り口の上手さなのか、取っ付きづらさは皆無であり、まるで「人間の物語」であるかのように、「ヒューマノイドの物語」がストンと読む側の脳に入り込んできます。『バイナリ畑でつかまえて』でも「機械的な人間」と「人間的な機械」の対比が描かれる話がありましたが、本作でも主人公の医師・須堂は「感受性豊かなヒューマノイド」に対し自らを「非常な人間様」であると(恐らくは皮肉を込めて)呼びます。本作に登場するヒューマノイドはみな、あまりにも人間的すぎる。あまりにも人間的なヒューマノイドが当たり前に生きている時代では、きっと、世界はそうなっているであろう……理屈ではなく、そう何の根拠もなく納得できるだけの説得力を、この作品は纏っているのです。

では、そんなヒューマノイドたちと向かい合う人間は?

……生クリーム入れた?

このありふれたセリフに込められた、ありとあらゆる感情を何と表現すべきでしょうか!

SFは歴史の長いジャンルであり、さまざまな表現が生まれてきました。今、少年漫画雑誌で、SFをきちんとやるということがどれだけ困難なことか。どこか懐かしい絵柄でそうした茨の道を歩み始めた山田胡瓜先生を当ブログは応援いたしますし、頼むから誰かアシスタントに応募してほしい。

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ところで今回、作中で「モッガディート」という単語が出てきました。詳細は今のところ描かれていませんが、病院の医師としてではなく、もう少し非公式的な依頼を受ける際の須堂の名義のようなイメージでしょうか。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「愛はさだめ、さだめは死」の主人公の名前ですが、果たしてどのような意味を持つのか、引き続き連載が楽しみです。医療オムニバスって完全に(主人公の風貌を含めて)ブラック・ジャック的だし(あっそうかだからチャンピオン)、オムニバスで週刊連載はめちゃくちゃ大変だと思いますが、期待しています。

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