阿部共実「8304」の良さを全ページにわたって書く

阿部共実先生の「Champion タップ!」での連載『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』の新作「8304」が公開されました。実に半年ぶりのことです。3週連続更新の1週目です。

あまりにも素晴らしいので、良さを全ページにわたって書きます。

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々 第14話 | 阿部共実

全体

『死に日々』第2話「一旦だけ一旦だけでも」(1巻に収録)や、「もっと!」で2話まで掲載された「おもいでをまっくろに燃やして」でも多用された「光る水滴」の描写がふんだんに採用されています。水滴は円を描いており、阿部さんがデビュー当初からこだわり続けている水玉模様と通ずるものがあります。あわせて、水滴に映る景色(キャラクターの顔)は、そのままキャラクターの瞳に映る相手の顔と重なります。この「瞳に相手が映る」という描き方も、最近の阿部さんに特徴的な描写です。

また、最近こだわっていらっしゃるらしい「白抜きの髪」を使用し、影になった顔にトーンを加えつつ、黒とのコントラストをはっきりさせています。夏の情景がよく表れています。

内容面では、「ちーちゃんはちょっと足りない」でも見られた「足りない自分と、足る他者」というモチーフが全面的に打ち出されています。男の子同士のコンプレックスの発露という点では、昨年末に公開された『死に日々』第11話「おねがいだから死んでくれ」(1巻に収録)と重なりますが、「おねがいだから〜」が高校生であるのに対し、本作「8304」は中学生(中学1年生の梅雨入りの時期)であり、自意識の置きどころに差が見られます。

全体として、近年の阿部共実作品に見られたいくつかの描写やモチーフが統合されており、完成度の高さが目を引きます。きれいにまとまっているため、氏の作品で定期的に登場する「消化しきれない読後感」は比較的、おさえられています。

1ページ

これまた氏の作品で頻発する「団地の多い住宅街」の描写で始まります。たまに登場する詩的な台詞回しに載せて、2人の中学生「松田」と「けんちゃん」が自転車に乗っているシーン。2つのやりとりから、「けんちゃん」は詩的なことを考えている少し斜に構えた少年、「松田」は天真爛漫な少年、という印象を与えます。

「びしょぬれになって遊ぶなんて僕はごめんだぞ松田」というセリフがグッと来ます。「けんちゃん」は友人をあだ名では呼ばず、名字を呼び捨てにするのです。「松田」なんていう、あだ名をつけやすい名字にも関わらず、です。

「けんちゃん」は町のことを「灰色の町」と呼んでおり、よく思っていないことが伺えます。雨が降ってきて、水滴が描かれます。上から下に落ちていく楕円形の水滴の他に、跳ねたものなのか真円の水滴が大きく描かれます。水玉です。

2-3ページ

シャッターの閉まった店(「ゲームヤマト」という店名と「テナント募集」の張り紙が見える)の軒先で雨宿りをするふたり。灰色の町。

「松田」の発言によって梅雨入りの時期(6月頭ごろ?)であることが明かされます。また、「中学生になってせっかく初めてけんちゃんと会えたのに」と言っていることから、中学1年生の6月頭ごろであるということ、ふたりは小学生のころからの友人であること、にも関わらず中学生になって2ヶ月ほど会っていなかったことが分かります。「布あるから使え松田」「ありがとお けんちゃん ヌノヌノー」

雨について「松田」と「けんちゃん」がそれぞれ印象を語ります。「松田」は屈託なく朗らかに「苦手だなあ」「気分がとっても暗くなるから」と発言します。対する「けんちゃん」は、やはり詩的な、ある意味で中学生男子らしい言葉で、雨と灰色の町(の息苦しさ)を描写します。「松田」は「シテキー」と言い、「けんちゃん」は照れます。仲のよさそうなふたり。顔が近い。

4-5ページ

道の反対側からのカット。やはりシャッターの閉まった「ゲームヤマト」が印象的なコマ。

「蒸し暑さ」「汗のにおい」「ポロシャツとボタン」といった描写によって、身体性、生々しさが描かれます。ボタンがうまくとれない、メモをとっておけ、などのやりとりから、「松田」の幼さや、彼を世話する「けんちゃん」の姿が印象づけられます。「松田」の幼さに対し世話を焼く自分、という関係性にまんざらでもないような「けんちゃん」の表情が見事です。なんとなく「ちーちゃんはちょっと足りない」の「ちーちゃん」と「旭」を彷彿とさせます。

会話から、「松田」は運動系の部活動をしていること、「けんちゃん」は帰宅部で図書館に通っていることが分かります。運動系と文化系に方向性が別れたふたり、という表現です。

「灰色の空の水色のひび割れ」というセリフは、氏の出世作『空が灰色だから』と、「おもいでをまっくろに燃やして」の登場人物「水色」を思い出させます。阿部共実作品はかねてより「色」を大切に扱っています。白黒のマンガの中で、いかに色彩を豊かにするかは、氏の挑戦のひとつのように見受けられます。

6-7ページ

「あの本を持ってきた」という「松田」。瞳に「けんちゃん」が映る(前のページで「けんちゃん」の瞳には「松田」は映っておらず、黒く描かれている)。父からもらった本であり、「けんちゃん」は「松田」の家に来るたびにその本を読んでいたことが描かれる。「読んでると世界がすきとおった宝石だけでつくられたように感じてくるんだ」

「じゃあ来世でもいい?」の「けんちゃん」の顔が良い。

「松田」は「けんちゃん」を「ぶっきらぼうなくせに妙に品がいい」と言う。「けんちゃん」は「松田」に「松田こそよくそんなんで名門私立に受かったな」と言う。ここまでの印象とは異なり、文化系で本が好きな「けんちゃん」ではなく、天真爛漫で幼いイメージの「松田」が名門私立の中学に進学したことが描かれる。

ここまでも小さく挿入されてきた幾何学模様の世界のカットが大きく描かれる。じゃれあうふたり。

8-9ページ

幾何学模様の世界。遠くはなれたふたり。

「松田」は「私学やめたい」「みんなと同じ地元の中学校がよかった」と言う。こんこんと咳をする。風邪ではなく、ずっと喉の調子がおかしい。おそらく変声期です。「けんちゃん」はそれに気付いておらず、「松田」の方が先に声変わりの季節を迎えたのだと想像できます。

「松田」の言葉は続きます。私学のため、電車に乗って外の町に通学していること。明日は友達と都市部のテーマパークに行くこと。「けんちゃん」は「あっそう」と応え、「松田」の方ではなくそっぽを向きながら、「僕はこのシャッターだらけの町からでたことなんてほとんどない」と言います。

ふたりが雨宿りしている店がゲーム屋さんだったこと、近くに本屋さんもあったこと、それらは「坂の上にジョスコや弥生ムセンができたことでつぶれたこと」が語られます。「ちーちゃんはちょっと足りない」の舞台のモデルでもある神戸・垂水でしょうか。

雑草、軽自動車、電線。灰色の町を彩る色を「けんちゃん」は夢想します。

10-11ページ

「松田」の携帯電話にメール。登下校が遅く、塾もあるため、入学祝いに携帯電話を買ってもらったという「松田」。ご大層なと言いながらじゃれつく「けんちゃん」。携帯電話の画面からは、「松田」が学校の友達には「まっつん」とあだ名で呼ばれているらしいこと、また「エロ本」をちゃんと持ってくるようにというメッセージが見える。きっと「けんちゃん」は「まっつん」などと呼んだことはないだろうし、「松田」と「エロ本」の話をしたこともないでしょう。

幾何学模様の世界で、ブロックが飛んで足場がこわれていく、そのぎりぎりの淵に立って背中を向けている「松田」と、それを遠く後ろから見つめる「けんちゃん」。人前で携帯電話をいじる、そういうところが嫌いだと、笑いながら「松田」に言う「けんちゃん」。

現実世界で、そして幾何学模様の世界で振り返る「松田」。円形の水滴と、立方体のブロック。白い画面に、徐々に黒が増えていく。

12-13ページ

泣きそうな表情で笑う「けんちゃん」。その瞳には端にかすかに「松田」が映る。見ているけれど、真っ直ぐ見られない。「どうしたの?」と屈託なく聞く「松田」。その瞳にはしっかりと「けんちゃん」が映るが、顔は影で見えない。真っ直ぐ見ているけれど、表情が分からない。

「松田といるとつらいだけだ」

14-15ページ

水滴に映るふたり。「けんちゃん」による独白。「松田」は多くを持っている。前に進んでいる。身長もぬかれた。「なんで僕と君は違うんだ」

幾何学模様が増え、水滴もいつの間にか長方形に近くなっている。

16-17ページ

謝る「松田」。ここまでずっと透き通っていた彼の瞳が濁る。「けんちゃん」は「松田」が悪いわけではないと黒く塗りつぶされた顔で言う。崩れた幾何学模様の世界で、1つのブロックの上に立つふたり。

18-19ページ

壊れる世界。触れたいという欲望。泣く「松田」に向かって、落ちながら手を伸ばす「けんちゃん」。自分の場所まで落ちてきてほしい、上に登っていかないでほしい、という欲望。

20-21ページ

幾何学模様の世界で手をつかむ。

22-23ページ

再び身体性を取り戻す。「けんちゃん」が「松田」を羨むように、「松田」もまた「けんちゃん」を羨む。世界を宝石のように豊かに見る目などない。「けんちゃん」が父の子どもだったらよかったのに。何度も読まされたその本が大嫌いだった。

「また会えるよな」「本を返す約束をしよう」「夏になったら海の神社の夏祭りに行こう」「冬になったら星を見にいこう」

そう言う「けんちゃん」の瞳には、やはり「松田」は映っていない。表面上は和解したように見えるふたりの、お互いの言葉は噛み合わない。問題は解決されない。そして雨がやむ。

24-25ページ

雨上がり。水滴。自転車のタイヤ。煌めく世界。ふたりのりをして坂を登る。

26-27ページ

自転車で駆け抜けていく。

28ページ

「この本を読むたびにこれだ」「今となればどうでもいいささいな思い出だ」「子供の頃の幼稚でつまらない思い出だ」

総評

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を参照しているように見えます。そういえば主人公の名前は「けんちゃん」ですね。谷川俊太郎の「きみ」を思い出すという意見もいくつか見ました。

この本を読むたびに、と言っているということは、つまり本は返さなかったということであり、しかも恐らくは大人になった今でも読み返し、そして幼稚でつまらない思い出にひたっていると考えられます。

「なぜ僕と君は違うのか」「僕と同じになってほしい」と夢想する「けんちゃん」の瞳には、一貫してほとんど「松田」の姿が描かれません。果たして「けんちゃん」は本当に「松田」を見ていたのか。阿部共実作品で幾度となく描かれてきた「足りない自分と、足る他者」という想いを、今回は「本当に他者を見ているか」という視点で批判的に描いています。それこそが、「子供の頃の幼稚でつまらない思い出」である所以と言えるでしょう。

足りない自分と、足る他者。なぜ自分はそちら側ではないのか。そういった物語を作り続け、そういった主人公への共感を呼びながら、しかし確実にその想いの欺瞞を描く。「ちーちゃんはちょっと足りない」や「おねがいだから死んでくれ」で見せた方向性が、さらに一段と分かりやすく描かれたように思います。

あと2週、連続更新です。きっとどうしようもないコメディだったりするのでしょう。楽しみです。

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