正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまうことを肯定する。平坂読『僕は友達が少ない』10巻が描いた世界観

10巻です。事実上の8.5巻であった「CONNECT」を含めると11冊目。終わりが見えてきました。

9巻時に、こんなことを書きました。

平坂読『僕は友達が少ない』9巻の激烈な面白さ、あるいは「はがない」のこれまでとこれから - From The Inside

ある意味「僕は友達が少ない」(はがない)という作品は7巻、8巻、CONNECT、9巻の4冊でそのすべて開示したと言えます。タイトル「僕」の正体、羽瀬川小鷹の真意(を基軸としたハーレムラブコメへのメタ構造)、すべての人間はテンプレートでなどできていないという世界。おいしい部分はすべて終わった。あとはどうケリをつけるかだけ。

それを踏まえて、10巻です。

ダークナイト・ライジング

メインヒロインでありながら、圧倒的な反ヒロイン性を帯び続けてきた三日月夜空=ダークナイトの再生と復活が、10巻の表面上のメインエピソードです。これまで「パクリ」を含めて「模倣する者」としての側面が強調されてきた三日月夜空は、今回もただひたすらに模倣を続けます。正義のヒーローに憧れてそのようにあろうと演じ、父を奪った母の友人や変わってしまった母に絶望し女であることを疎ましく思って男の子を演じ、再会したかつての友人の前で新しい自分を演じ、頼れる部長を演じ、そして「優秀な者=かつて抱いていた柏崎星奈や日高日向のイメージ」を演じ、『かっこいいやつ』を演じる。模倣することしかできない三日月夜空は、お前は悪であるとされた光り輝くオリオン=柏崎星奈を救おうとします。それがヒーローだから。それが「友達」だから。模倣し続けていれば、いつか本物になれるかもしれない。

これまで繰り返されてきた「光り輝く星」と「漆黒の夜空」の関係性という伏線は、きちんと回収されました。矮小な人の身には眩しすぎる星を孤独にしないでいられるのは、ただひたすらに暗闇であり続ける夜空だけである。本作を象徴する存在としての三日月夜空は、こうしてナイトとしてプリンセスを守り、プリンセスの告白を引き受けるのであった。めでたしめでたし。

正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまうことを肯定する

「僕は友達が少ない」は、一貫して「正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまう」という事象を描き続けます。思えば登場人物たちはみな、ありのままの自分を正しく貫き通した結果、友達がいない、という状況に陥るところから物語を始めています。そうして彼ら彼女らは「友達を作ろう」と奮闘し、そのやり方を間違え、自分たちが仲良くなっていくという事実すら受け入れられなくなっていきます。CONNECTで描かれた前世代=柏崎天馬のエピソードも同様です。正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまう。今回、三日月夜空が叫んだこともまた、同様でした。

「ヒーローや魔法少女に憧れ、正義であることを望み、悪を憎み、愛や友情を美徳としながら! どうして貴様らは……どうして私たちは、人に優しくなれないんだ!!」

三日月夜空自身がそのような存在です。正しい者に憧れ、『かっこいいやつ』に憧れた結果、正しくなくなってしまう。だが三日月夜空は、正しくあろうとすることをやめず、そのまま突き抜けていく存在として描かれます。その結果が正しくなかろうと、肯定する。「僕は友達が少ない」は、正しくあろうとして勇気を持って一歩を踏み出すという行為を肯定的に描きます。たとえ結果が正しくなかろうと。それはかつて、勇気のある者=志熊理科が見せたやり方でした。

とても興味深いことに、この「正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまう」というアプローチは、渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(俺ガイル)と正反対の構造をしています。俺ガイルはタイトル通り「まちがっている」ところからスタートします。そして徹底的にまちがっている「正しくない者」である主人公・比企谷八幡は、結果が伴うのであれば正しくないやり方でも構わない、正しいけれど結果が伴わないよりずっと良い、という形で問題を解決していきます。その思考の奥底、その立場の行き着いた先に、9巻で比企谷八幡は「本物がほしい」と自らの願望を吐露します。「正しくある必要などないと進んだ先に結果があると信じ、本物に至ろうとする」俺ガイルと、「正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまうことを肯定する」はがない。きれいに正反対です。そしてこれはどちらが正しいとかどちらが間違っているとかいうことではないのです……ということは、もはや言うまでもないことでしょう(ちなみに「俺ガイル」について言うと、この「本物がほしい」というモチーフにどうケリを付けるのかが気になっています。「変則的俺TUEEEE」である比企谷八幡が正しくないやり方をもって本物に至ろうとする在り方は、とてもかっこいいしロマンがあるしダークヒーロー的ではあるけれど、とても危ういし潔癖すぎるし幸せになれないし誰も救われない道なので、そういう意味でもオチが楽しみです。存在しない本物を追い続ける姿は、まちがっているので、タイトル通りとも言えますね)

それ故に主人公の在り方も正反対になります。比企谷八幡が正しくダークヒーローであるのと正反対に、羽瀬川小鷹は誠実であろうとするくせに正しくなくなってしまうアンチヒーローであり続けます。

間違いだらけの主人公がようやく気付いたこと

多分、羽瀬川小鷹は読者からの人気がありません。人は正しい者に憧れるからです。正義のヒーローに憧れるからです。羽瀬川小鷹はまったくもってヒーローではありません。優しくあろうとし、コミュニティを守ろうとした結果、鈍感な主人公(えっ、なんだって?)を演じることしかできなかったヘタレです。その事実を7巻と8巻で志熊理科に糾弾され、9巻でそれをやめて三日月夜空を救おうとした羽瀬川小鷹は、10巻でその後押しをほんの少しだけするけれど、結局のところ彼がしたのは最初に背中を少し押しただけで、あとは彼の外部で転がっていくだけ。これは柏崎星奈に対しても同様です。羽瀬川小鷹は無力であり、何も解決できず、ただ正しくあろうとするだけで、結局、正しくなくなってしまいます。最後に三日月夜空と柏崎星奈をかろうじて救うことができたけれど、その後に彼は退部届を持ち出します。相変わらず正しくあろうとして間違えている。

9巻から10巻にかけてことあるごとに描かれてきた初めての友達・志熊理科とのエピソードを根拠に、羽瀬川小鷹は、友情はすごい、友達はすごい、恋愛なんて邪魔なだけだと、理科といるだけで本当に楽しいのだと、このコミュニティに自分がいることで、本来あるべきだった友情が色恋沙汰に塗りつぶされてしまうのは良くないことであると、三日月夜空が扇の要にまでなれた今、自分は去った方がいいのだと主張します。大笑いです。ここは爆笑するところですよ? そして、ずっと羽瀬川小鷹を見つめてきた楠幸村が、最後のケリを付けるのでした。読んでるこっちにもバレバレのこと。羽瀬川小鷹が志熊理科に向けている感情は、もはや友情などではない。

「それは恋です」

ありがとう……本当にありがとう……。よく言った幸村……。

そうして、初めてできた友達への感情をすっかり勘違いし続けた対人関係の経験に乏しすぎる羽瀬川小鷹は、志熊理科への感情が恋であることにようやく気付き、同時にやけに理科が「僕たちずっと友達だよね」と言い続けていたことを今さら「あれ? あれって実は失恋してたんじゃね?」と解釈します。大笑いです。ここは爆笑するところですよ? 無論のこと、本人は気付いていないけど、羽瀬川小鷹自身も志熊理科に「友達」って言い続けています。自覚がないし、友達ができて嬉しいんだから当たり前ですよね。それを志熊理科はどう思いながら聞いていたと思ってるんだ! 貴様そこに直れ! このヘタレ! おばかさん! でも羽瀬川小鷹は馬鹿でヘタレなので、自分の初めての恋を自覚すると同時に、初めて失恋したと思い込んで絶望します。

だから楠幸村の一太刀をまともに受ける。よけることができない。キスされて、付き合ってくださいと言われて、「え、あ、はい」とか言っちゃう。大笑いです。ここは爆笑するところですよ? 最高すぎる。そうして10巻は幕を閉じ、1冊丸ごとエピローグへ続く。

正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまうことを肯定する。そうしてのその先に、やっぱり正しくないヘタレのオチがつく。そういう1冊でした。まさしく「残念系青春ラブコメ」。あまりにも「僕は友達が少ない」という作品を象徴した構成です。

羽瀬川小鷹は正しくあろうとする者であり、誠実であろうとする者ですが、結局のところ正しくなくなってしまうヘタレです。対人関係の経験に乏しく、恋をしたこともなければ、恋をされたこともなかったから、どうしていいか分からず、勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んで、勝手に人に押し付けて、強く出られて逃げ道を失えばあとは流されるだけ。その姿は、主人公として魅力的かと言えば、きっと魅力的ではないんだろうと思います。人は正義のヒーローに憧れるものだから。ただ、ただ僕は、正しくあろうとして正しくなくなってしまう、そういう方がずっとずっと人間らしくて、好きです。世界はそうなっている。正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまうなんて、まるで自分自身のことのようではないですか。正しくあろうとした末に、正しくなくなってしまう彼らを、僕は愛おしいと思う。大笑いしながら頭を抱えて、エピローグを待ち続けたい。

おわりに

10巻は出来がいいかというと、そうでもありません。ブリキさんの挿絵はないし(っていうかブリキさんマジで体調は大丈夫なのか心配です……挿絵が無いことに気付いたのは読み終えて3時間くらいしてからでしたが。内容がそれどころではなかったので……)、三日月夜空と日高日向のケリの付け方は少し性急かつご都合主義的だったかなと思うし、三日月夜空は女が嫌いっていうのどうしたのっていう突っ込みもできるし、柏崎星奈と三日月夜空の結末はあまりにも予想された通りの形だったし、ぶっちゃけ人狼パートに紙幅を割きすぎだし(一応、幸村が隠れた狼であるということや、幸村が理科を一番の強敵であると見抜いているっていう構造の伏線になってはいるけど)、もしかすると多くの人がこの作品に求めているものではないのかもしれないといえばそうなのかもしれません。とはいえ、正しくあろうとして正しくなくなってしまうやつらが、相変わらず無様に転がっているだけ、と見れば、あまりにも「らしい」1冊だと、僕は思います。

あと理科は可愛いし最後は理科を幸せにしてくれるって信じてる。