なんだかよくわからないものへの賛歌――TRIGGER・中島かずき『キルラキル』

「今、わかった。世界は1枚の布ではない。なんだかよくわからないものに溢れているから、この世界は美しい」

……言うまでもなく、『キルラキル』というアニメは、22話(圧倒的神回)で語られるこの「1枚の布」と「なんだかよくわからないもの」との対比を描いている。

鬼龍院皐月は終盤で自らのやり方が母・羅暁と同様であったことを語り、その過ちを認める。恐怖こそ自由、君臨こそ解放、矛盾こそ真理。母を打倒すべく作り上げた本能寺学園を、皐月は支配によって、すなわち「1枚の布」に編み上げることによって組織化しようとした。そこに現れたのが纏流子である。流子は「なんだかよくわからないもの」である神衣・鮮血と満艦飾マコに支えられ、「1枚の布」である本能寺学園と戦う。流子をも母への打倒のための戦力としようと考えていたと皐月が語るとき、同時に皐月は、彼女が作り上げた「1枚の布」であったはずの側近・四天王が、実は「なんだかよくわからないもの」として彼女を守っていたことを知る。そうして皐月と流子と「なんだかよくわからないもの」たちは、世界を「1枚の布」にしようとする母に立ち向かう。

人間はよくわからない。世界はよくわからない。生命戦維はそのわからなさに服を着せる。服を着せることで服従させる。わからなさを美しい布で覆い、縫い付ける。だが人は人であり、服は服だ。人は服のために生きるのではない。

生命戦維でできている流子と、流子のDNAを組み込まれた服である鮮血は、なんだかよくわからないものである。人でもなければ服でもない。だが人であり服である。恐怖こそ自由、君臨こそ解放、矛盾こそ真理。1枚の布を打倒しようとする人類は、服の力を借りて、なんだかよくわからないものとして戦う。

このアニメ自体、なんだかよくわからないものだ。ギャグなのかシリアスなのか、冗談なのか本気なのか、パロディなのかオリジナルなのか。

1枚の布で覆うことへの抵抗、なんだかよくわからないものへの賛歌。なんだかよくわからないものが、なんだかよくわからないものとして生きられる世界は、こんなにもカッコ良くて、笑えて、泣けて、美しい。本当に、本当に、良かった。良かった…………。

雑感

  • 流子が生命戦維でできていることが発覚した時点で、最後は「皐月が流子を着る」という展開になるのではないかと思っていたのだけれど、ふたを開けてみたら「羅暁が縫を着る」でした。なるほどそっちだったか! 縫の羅暁に対する態度は、忠誠を誓っているようで、裏で軽口を叩いていたりしたけれど、最後に羅暁を「ママ」と呼んだその瞬間、お茶目なフリークスとして描かれてきた縫の心が垣間見えたようでグッときました。一方で流子は「全員の服を着る」という胸熱展開で、流子が完全に服になってしまうという悲劇的ラストでなくて本当に良かったなあと思いました……。
  • 皐月と流子が姉妹と分かった時点でいつ流子が皐月を姉と呼ぶのかそしてどう呼ぶのかを誰しもが夢想したわけですが最終話の完璧なシーンで完璧な形でもう完璧すぎてああああああああああああ。
  • みんな好きですが一番好きなのは皐月様です。鮮血を着て登場するシーン、「1枚の布ではない」のシーン、「無理に姉妹ぶる必要は無い」のシーン、落ちてくる流子を受け止めようと走るシーン……ああ良いシーンいくら語っても足りない! ラストのショートも良いと思いました!
  • マコは本当に良かった。キルラキルとはマコである、と言い切っていいくらいですね。最初、マコがラスボスだと思っていました。ごめんなさい。
  • 犬と蛇はやく結婚しないかな。
  • 25話楽しみですね……。

[asin:B00HFEVWY2:detail:large]