虚実が逆転する「読むアシッド・ハウス」——天久聖一『少し不思議。』

僕の青春は天久聖一と共にあったといっても過言ではありません。「バカドリル」に「ブッチュくん」、はたまた「バカサイ」、そして「モテたくて…」。

そんな天久氏(元祖あまちゃん)の小説『少し不思議。』は、漫画家・天久聖一の持ち味をそのまま文章に落とし込んだような、フィクションの繭を突き破る大傑作でありました。オビラーは松尾スズキ(甲斐さん)とピエール瀧(梅頭)、そして大根仁(モテキ)。

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売れない漫画家で、BS番組の構成などもしながらなんとか生き延びている主人公・大河内辰彦はある日、自宅に帰宅すると見知らぬ女に出迎えられる。年下の友人・慎司いわく、それは同棲している菜津子という女性だという。ほかの記憶はあるのに、菜津子との記憶だけが無い。会話を通じて少しずつ存在しないはずの彼女との記憶を探り、自身の他の記憶——父との別れや、ドラッグ漬けの過去——と、そして現在の仕事であるテレビや漫画、そして風俗嬢のTwitterゴーストライティングとが綯い交ぜとなって、やがて菜津子との日常は現実であるかのように辰彦の記憶に混じり合っていく。そうしてあるとき、極めて大きな出来事の記憶がないことに周りの言動から気付く。辰彦には、東日本大震災の記憶が無かった。

いかにも「私小説風」の筆致はある意味で見事としか言いようがなく、とても「小説っぽい」けれど、どこまでいっても天久マンガとしか思えないような乾いた笑いが続く、絶妙な仕上がりです。辰彦の過去と現在は良い具合に荒んでいて、何で生計を立てているのか分からない謎漫画家の姿は著者自身と重なります。現実にこんな人間がいるのかというアバンギャルドな半生は、虚像に見えて、しかし主人公にとってリアルな記憶です。一方、菜津子との少し不思議だけど平穏でリアルな日々は、辰彦にその記憶がないことも相まって、虚像めいています。そんな状態で聞かされる「体験したことのない震災後の日々」は、辰彦にとっては出来の悪いギャグマンガにしか思えず、しかし、それを読む我々はその描写がギャグめいていながらも現実であったことを記憶しているため、逃げ場を失います。

「他人の夢」に巻き込まれた辰彦は、彼が敬愛する愛嬌あるホームレス・ネコ爺(=ドラえもん。少し不思議!)に導かれ、もともと記憶に無かったはずの日々を喪った悲しみの中、存在しないはずの記憶に満ちた夢の底で彷徨う。こうして、虚像と現実は逆転します。それはSF(少し不思議)であり、ギャグであり、マンガ的であり、「読むアシッド・ハウス」であり、(松尾スズキが言うように)チャーリー・カウフマンの書いた映画のようでもあります。

著者の文才は本物で、ああまたしても天久は天才だという結論に至ってしまうのかと呆然としてしまいます。長尾謙一郎による可愛らしい表紙を取り去った、カバー下の装丁もまた見事。長い長い白昼夢を形にするとこうなるのか……。

ちなみに辰彦のペンネーム「アルミ伯爵」は、著者が手がけた「電気グルーヴ20周年のうた」PVに登場する「前髪タラちゃん」の作者の名前ですね。この名が登場した瞬間、爆笑すると共に、本書が名作であることを確信しました。前髪タラちゃんマジ名作。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163825304
http://hon.bunshun.jp/articles/-/1913
少し不思議。 天久聖一著: 日本経済新聞