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紅玉いづきさんの初めてのハードカバー。美しい装丁とタイトル、そして「少女サーカス」というモチーフに魅かれ、前作『サエズリ図書館のワルツさん』が予想以上に良かったこともあり、手に取りました。
大災害からの復興を目的として作られた首都湾岸地域のカジノ特区には、客寄せのためのサーカス団が存在する。曲芸学校での苦難をくぐり抜けた才能ある者たちだけが「サン=テグジュペリ」「カフカ」「アンデルセン」など文学者の名を襲名して舞台に立つ。
このサーカス団では、次のように教えられます。「美しくありなさい。ほんのひとときで構わないのです。一日一日、花の表情が違うように、不完全でありなさい。未熟でありなさい。不自由でありなさい」。芸事に身を捧げた者であれば、この言葉に何らかの思いを持つものでしょう。同意するか、あるいは否定するか。この言葉を発したのが、団長シェイクスピアであるという点が本作の歪みを端的に表しています。歪みこそが美を生み、救いとなっているのです
この物語を書きながら、人間の価値はどこにあるのだろう、と何度か考えました。
ブランコ乗りのサン=テグジュペリ――スポットライトと、拍手だけが、彼女達のすべて。
多分、そんなもの、どこでもいいし、なくたっていい、のでしょう。
ただ、ある種の仕事には、「貴方には価値がある」と言われ続けなければならない、という宿命があります。
「貴方」でなければ、「貴方の書く物」でも、「貴方のつくるもの」でもいい。
そういう、宿命のこと、を考えながら書きました。
舞台に立つ者たちは皆、歪んでいて、おそらくは間違っています。それでも彼女たちは美しい。「認められるということは、いつか幻滅をされるということだ」。最後に立ち現れる「不自由の美」を光り輝かせるために、本作は存在するといっても過言ではないでしょう。眼が焼かれそうです。自分は、不自由の美を得て、舞台に立ち続けられるだろうか。サン=テグジュペリ『夜間飛行』のように。
ちなみに僕は猛獣使いのカフカが好きです。良いよね……。