黒田夏子『abさんご』のゆめと記憶

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第148回芥川賞受賞おめでとうございます。

昨年、第24回早稲田文学新人賞を受賞した際、選考委員の蓮實重彦先生は選評でこうおっしゃられておりました。

「abさんご」は、あくまで横書きで書かれ、あくまで横書きで読まれるべき作品であり、ごく素直にたどれる語彙や構文からなっているとはいいがたい。とはいえ、ここでは、読む意識への言葉の無視しがたいさからいこそが読まれねばならない。誰もが親しんでいる書き方とはいくぶん異なっているというだけの理由でこれを読まずにすごせば、人は生きていることの意味の大半を見失いかねない。

http://www.bungaku.net/wasebun/pdf/WB25WEB.pdf

「横書きである」「固有名詞がない」「カタカナがない」「ひらがなを多様している」……という特徴が語られ、ややもすると実験小説であるかのような印象を持つ受賞作「abさんご」は、実際問題として読みやすいか読みづらいかと言われれば「読みづらいですね」と言わざるを得ないのではありますが、これは素晴らしい日本語表現の集合体であり、読むことの悦びを感じさせてくれる良い作品でした。

昭和の家庭に生まれ育った小児時代からの記憶が「ゆめ」のように綴られる本作を前にして、読者は書かれている内容を飲み込むため、真摯に日本語と向き合い、ことばのひとつひとつを大切にしながら読むことになります。ですが、読みづらさを感じるのは最初だけで、やがてこの夢のような文体は読むという行為自体を純化させてくれます。そこから浮かび上がる情景はまさしく幻想であり、なるほど夢と記憶を言語化するとこうなるのかと驚嘆せずにはいられません。

固有名詞を排したふわふわとした言語感覚は意味するものから意味されるものを解き放ち、名付けによって零れ落ちる余剰を丸ごとやわらかい檻で包み込んでいるかのようです。語り口はやさしく、どのフレーズも思わず音読したくなります。道が岐れていくというモチーフはなるほど著者自身が「a/b」あるいは「さんご」に込めた意味のひとつであるというコメントに納得がいくものではあるけれども、個人的には何となく「さんご」と「さんぽ」がよく似ていて、タイトルの意味はそのくらいで良いんじゃないかという気持ちになりました。さんぽの途中、aの道とbの道、そのどちらかを選んでどちらかを捨てるのではなく、双方をあたたかく包んでくれる描写に救われたように感じました。

他3篇はすべて縦書きで、表題作と比べるとまっとうな文体の、著者が20代のころに書いた短編だそうです。いずれも「タミエ」という女の子の物語で、このタミエが良いキャラクターをしていて悶え転がりました。タミエシリーズはもっとないのでしょうか。大人になったタミエは見てみたいですね。きっと悪女だと思うのですよ。