大林宣彦『この空の花―長岡花火物語』/細田守『おおかみこどもの雨と雪』/2人の花、雪の降る町、雨の日の記憶

人は生きて、死ぬ。

大林宣彦『この空の花―長岡花火物語』

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http://konosoranohana.jp/

まさしく長岡ワンダーランドにして大林マジック。新潟は長岡で毎年8月に打ち上げられる「長岡花火」を、戊辰戦争、真珠湾攻撃、長岡大空襲、新潟県中越沖地震、そして東日本大震災と重ね合わせて描いた一大叙事詩です。

長岡の花火は1840年、長岡藩主の川越への移封取り消しを祝う祝砲として打ち上げられたものが始まりとされています。1879年に遊郭の関係者が350発を打ち上げたのが花火大会としての始まり。戦時中の打ち上げ中止を経て、1947年に復興のシンボルとして復活。2005年には新潟県中越沖地震の復興を祈願した「フェニックス」の打ち上げが始まりました。そして2011年、東日本大震災を受けて自粛議論が高まる中——。

こうしたセミ・ドキュメンタリー的な特徴を縦軸に、人々の物語が横軸として絡め合わされます。天草の地方紙記者、玲子のもとに、かつての恋人である健一から手紙が届く。長岡で高校教師をしている健一は、自分の生徒が脚本を書き演ずる『まだ戦争には間に合う』という舞台と、長岡の花火を見に来ないか、という。2人は自らの人生と戦争を結びつけながら、その日に向けて自身の心情を、文字通り「語りかける」のです。カメラに向かって、独白しながらも、観客に語りかけるように!

3時間近くにも及ぶ重厚なフィルムは、それでも時間が足りないのだとでも言わんばかりに詰め込まれたセリフを放ち、矢継ぎ早に現在と過去の映像を何の演出的説明もなくそのまま混ぜ合わせて叩き付けてきます。圧倒的な情報量は、長岡というワンダーランドのワンダーっぷりを遺憾なく表現してくれます。大林宣彦監督の過剰性がそのまま「映画らしき何か」としてフィルムに刻み付けられているのです。

大林宣彦監督作品 映画「この空の花」 予告編 120秒バージョン - YouTube

そんな過剰性の中心で、花という少女は舞台を軽やかに駆け回ります。元木花。一輪車に乗って劇中を駆け巡り(演じている猪俣南は、一輪車の世界大会での優勝経験者!)、物語の始まりにして終わりである脚本『まだ戦争には間に合う』を書き残し、ふわふわとつかみ所なく彷徨いながら「私は知ってるよ」と客席に語りかけるのです。花という少女が中心にいて、そして花火が空に打ち上げられる。過剰性が花≒花火へと収束し、そして再び発散するクライマックスは圧巻の一言。正直に言うならば、打ち上げられた花火を見て、僕は泣きました。安らかに眠れ。

どうぞ、脳髄が焼き切れるような強烈な映画体験を。

細田守『おおかみこどもの雨と雪』

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映画「おおかみこどもの雨と雪」

『時をかける少女』『サマーウォーズ』の細田守監督 最新作。シンプルで、美しい物語。

生活費をアルバイトで稼ぐ女子大生の“花”は、ある日、大学の授業に潜り込んでいた青年と出会います。やがて恋に落ちる2人。でも彼は、“おおかみおとこ”だったのです。……という、極めて分かりやすいモチーフから出発する本作は、2人の子ども——姉の“雪”と弟の“雨”が生まれ、そして“彼”が死んでしまうところまでを一瞬で駆け抜けます。そうして、残された“花”が2人を育て上げる決心をするところから、物語が始まるのです。

ふとした瞬間に狼の姿に変わってしまう雪と雨の姉弟を都会で育てるのは難しく、花は田舎へと引っ越すことを決意します。そうしてそこで、いつか2人が選べるようにするのでした。人として生きるか、狼として生きるか。

花は極めて強く、同時に軽やかな、透き通った女性として描かれています。いつでも笑っていろと育てられた花は、笑いながら、やんちゃな雪と、臆病な雨を育てるのです。よく笑顔が出てくる映画だなと感じました。しきりに笑っています。富山をモデルとした田舎町の自然描写はCGによって柔らかくも美しく作り上げられ、それが3人への祝福として常に機能し続けていることを意識させられます。

映画「おおかみこどもの雨と雪」予告3 - YouTube

この物語は、ファンタジーかもしれません。花という女性はあまりに強く、軽やかです。故にこれは現代劇であると同時に、おとぎ話なのです。

どうぞ、丁寧で真っすぐな「選択の物語」を。

花、雪、雨、死、旅

……さて、奇しくも同時期に観たこの2作は、いずれも「花」という女性が中心にいます。また、舞台は新潟と富山という「雪」の降る町であり、物語のクライマックスで激しい「雨」が降ります。同時に、いずれも「死」と「旅立ち」を描くという点で共通します。

元木花。雪の厳しい長岡。豪雨の中で打ち上げ決行を決断した2011年の長岡花火。多くの死と鎮魂を経て、まだ戦争には間に合うと旅立ちへと至る。

“花”。雪の日に生まれた姉、雨の日に生まれた弟。雪の上で駆け回って笑い、豪雨の中で選択をする家族。愛する人の死で始まり、旅立ちへと至る。

特に意味はありません。ただ、『この空の花』を観たあとは強い日差しの空の下で、『おおかみこどもの雨と雪』を観たあとは雨上がりの道の上で。人は死んで、そして生きるんだなあと、思ったのでした。